#05 服に飽きたのか、自分に飽きたのか。
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服に飽きたのか、自分に飽きたのか。
新しい服には、不思議な力がある。
買ったばかりの服を着る日は、少し気分がいい。
いつもの駅。
いつもの道。
いつもの自分。
何も変わっていないのに、服が一着変わっただけで、少しだけ新しい自分になった気がする。
でも、その感覚は長く続かない。
何度か着ると、それは「いつもの服」になる。
そしてまた、新しい服が欲しくなる。
ここで少し不思議なことがある。
今クローゼットの奥にある服も、最初は同じくらい魅力的だった。
魅力がなくなったのは、服だろうか。
去年、あんなに欲しかった服。
何度もサイトを見て、迷って、ようやく買った服。
それが今は、ほとんど目に入らない。
でも、服そのものは何もしていない。
デザインが変わったわけでもない。
昨日より急に格好悪くなったわけでもない。
変わったのは、自分の見方だ。
だとしたら、
私たちは本当に「服」に飽きているんだろうか。
それとも、
その服を着ていた自分に、飽きているんだろうか。
新しい服が欲しいとき、欲しいのは服なのか。
新しい服を買うと、少しだけ自分が更新されたような気がする。
今まで選ばなかったシルエット。
今まで着なかった色。
鏡の中に、少しだけ違う自分がいる。
もしかすると私たちは、服を買うことで、
「新しい自分」を買っているのかもしれない。
だから新しさに慣れると、また次が欲しくなる。
そう考えると、
服を買うことは、かなり不思議な行為だ。
布が足りないから買っているわけではない。
着るものなら、もう十分にある。
それでも欲しくなる。
足りないのは服ではなく、
変化なのかもしれない。
それでも、飽きない服がある。
一方で、何年経っても手放せない服もある。
もっと新しい服があるのに、なぜか着てしまう。
少し古くなっているのに、捨てる気にならない。
そういう服は、
もう自分を「新しく見せる服」ではない。
むしろ逆で、
自分の一部になっている。
新しい服には、まだ知らない自分がいる。
古い服には、これまでの自分がいる。
だから私たちは、新しい服に惹かれながら、古い一着を捨てられなかったりするのかもしれない。
服は、自分の時間を着るものなのかもしれない。
IAKUも、新しい服をつくるブランドだ。
だから当然、「欲しい」と思ってもらいたい。
でも、本当に難しいのはその先だと思っている。
新しいから欲しい服ではなく、
新しくなくなってからも、着たい服。
流行が変わっても。
新しい服を何着買っても。
クローゼットを開けたとき、なぜかまた手が伸びる。
そんな服には、デザインや機能だけでは説明できない何かがある。
服に飽きたと思ったとき、
一度だけ考えてみてもいい。
飽きたのは、その服なのか。
それとも、その服を着ていた頃の自分なのか。